そのときジャック・ドーシーは、浮かない顔をしていた。
シリコンヴァレーの大物たちがイラクの企業や大学を訪問するという米国務省のツアーに参加していた2009年のことで、わたしたちはバグダッドにいた。このとき、驚くほど人のいないイラク国立博物館にも立ち寄っている。
一方、米国ではドーシーが創業した企業が彼のいない状態で忙しく稼働していた。「Twitter」という名の短文ブログのプラットフォームを運営する会社である。
当時のツイッターの経営は軌道に乗りつつあったが、ドーシーはすでに指導的な立場にはいなかった。共同創業者のエヴァン・ウィリアムズとビズ・ストーンが“勝者”として表舞台に立ち、トーク番組やカンファレンスに登場していた。
ドーシーは感情をあまり表に出さないタイプである。そんな彼と深夜に話したとき、自身の苦悩を告白してくれた。それから数カ月後に再会した際も、状況はまだ改善していなかった。このとき、彼はわたしを自宅に連れていき、新しいアイデアを見せてくれた。それは小さなドングリ型の装置で、携帯電話をクレジットカードの決済端末にするという代物だった。
「復讐という料理は冷めた状態がいちばんおいしい」と言われる。だが、それから数年のジャック・ドーシーは、豪華な食事を楽しんだ。その料理は出来たてであるのみならず、ヴィーガンに配慮したメニューでもあっただろう。あるいは「ケトン食」だったかもしれない。
ドーシーが見せてくれた奇妙な装置は、のちに決済プラットフォームを手がけるSquareというかたちで結実した(現在の時価総額は1,000億ドル近くにもなる)。それだけでなく、11年には当時のツイッターのCEOだったディック・コストロ(ウィリアムズの後任)が、パートタイムのプロダクト責任者としてドーシーを迎え入れた。
それから4年後、ドーシーはコストロの後任として、再びツイッターのリーダーとなった。Twitterというサーヴィスを発明し、(よかれ悪かれ)誰もが生の声を発信できる場を提供して世界を変えた男が、自分の創造物の主としてついに復帰したのである。
シリコンヴァレーのハムレット
ふたつの巨大な上場企業を、ひとりで運営することは可能なのだろうか? ドーシーは「可能だ」と言い張っていた。彼が偶像視していたスティーブ・ジョブズも、アップルとピクサーを同時に率いていたではないか。
鍵を握るのは、パートタイムのリーダーで会社を成功させてくれるようなチームを結成することだった。Squareに関してドーシーは、明らかにそうした戦略をとった。しかし、ツイッターの状況は複雑だ。ほかのソーシャルメディアのユーザー数が数十億人規模に到達しているにもかかわらず、Twitterは一度もそのレヴェルに到達していない。
それは常にフラストレーションとなっていた。ユーザー数の規模に見合わない影響力をもっているという事実は、「Twitterのユーザー数はなぜ増えないのか?」といった疑問を常に突きつけた。ツイッターは公式に、またそうでない場所でも立て続けにプロダクトを発表してきた。
Twitterのコンテンツの監視役という意味で、ドーシーは「シリコンヴァレーのハムレット」だった。問題は認識していながらも、その解決に必要な厳しい措置はためらったのだ。Twitter上では、それほど過激なツイートをしていない女性に対しても、女性蔑視の嵐が吹き荒れる。