ウィンストン・チャーチルが愛した邸宅 チャートウェル・ハウスを征く [Chartwell]

沿って : Ilikephone / On : 24/12/2022

●征くシリーズ●取材・写真・執筆/塚田沙羅、本誌編集部

ウィンストン・チャーチルが愛した邸宅 チャートウェル・ハウスを征く [Chartwell]

チャーチルが一目惚れした家

ロンドンのチャリング・クロス駅からナショナル・レールで南東へわずか30分強。セブンオークス駅から車で15分ほどいくと、チャートウェル・ハウスにいたる。平日の午前中だというのに、気持良く晴れた日だからか、既に多くの観光客が訪れていた。この館はウィンストン・チャーチル(Winston Churchill1874~1965年)が1922年に購入し、晩年まで過ごした終の棲家である。チャーチルの死の翌年1966年からナショナル・トラストの管理下で一般公開されている。48歳まで定まった住居を持っておらず、根無し草のように転々と居を移したチャーチルは、基本的にロンドンを拠点に生活していたが、田舎でのゆったりとした暮らしに常に憧れていた。チャートウェル・ハウスを購入する前に、彼は実験的にイングランド南部のリングフィールド近くに住んでみたが、あまりいい物件とはいえず、満足しないままに終わった。1921年にチャートウェル・ハウスに出会った時は、館はツタに覆われた古いヴィクトリアン調の建物だったが、彼はそこからの眺めにすっかり心を奪われてしまった。そして翌年1922年の秋に、5000ポンドで地所と家を購入したのである。購入後、英国政治家ロイド・ジョージの家を手がけた建築家フィリップ・ティルデンに家の拡張と近代化を依頼する。改築は時間を必要とし、チャーチル一家が引っ越すことができたのは2年後の1924年だった。

最愛の妻クレメンタインとの思い出

チャートウェルでは、夫として、父としてのチャーチルの眼差しを随所に感じることができる。特にチャーチルの私生活において、妻・クレメンタイン(Clementine 1885~1977年)との関係には特筆すべきものがある。チャーチルが残した言葉に、「私の業績の中で最も輝かしいことは、妻を説得して私との結婚に同意させたことである」というものがあるが、いかにクレメンタインに首ったけだったかがわかるだろう。若かりし頃のチャーチル(1904年頃撮影)と、11歳年下の妻クレメンタイン(1915年頃撮影 © cornell.edu, 1915)。夫妻は1男4女をもうけた。クレメンタインは、軍人サー・ヘンリーと、第10代エアリー伯爵デヴィッド・オギルビーの娘、ブランシェ・ホーズィエとの間に生まれた。特に資産家というわけでもなかったため、彼女はフランス語の家庭教師をして生計を立てていた。チャーチルとクレメンタインの両親同士はもともと親友であり、2人が最初に出会ったのは1904年のことだった。だが、チャーチルはクレメンタインの顔を眺めつつ立っているだけで、ダンスに誘うどころか一言も喋らなかったという。毒舌で知られるチャーチルながら、女性の前ではお世辞にもスマートとはいえず、特に初対面の女性に対しては冗談も言えずぎこちなかった。しかし、1908年3月の晩餐会での再会は、2人が結ばれる運命にあることを告げるものであった。2人は隣合わせに座り、チャーチルは他の女性には見向きもせず、クレメンタインだけを見つめていた。この時もぎこちなさを残していたチャーチルは、出し抜けに父親の生涯を記した自著の『ランドルフ卿』を読んだかと彼女に尋ねた。クレメンタインが読んだことがないと答えたので、自分から本を送ると約束した。だが、後日それを忘れてしまったので、この時は2人の関係はさほど深くならなかった。チャーチルの方が先にクレメンタインに惹かれていたのは明らかだが、翌年4月に再度会った時、クレメンタインもチャーチルに魅せられたと本人が後に語っている。3度しか会っていないにもかかわらず、同年8月にはチャーチルは従兄弟マールバラ公のブレナム宮殿に彼女を招き、バラ園でプロポーズした。ほとんど一目惚れからのプロポーズだったが、「私は結婚し、以後今日まで幸福に暮らしている」とチャーチルが自伝『私の半生』で綴っているように、2人は愛情に満ちた結婚生活を送った。一緒にいた57年間で、1700通以上もの手紙を交わしており、どの手紙も2人の互いへのあふれんばかりの思いに満ちている。チャーチルが妻を「ネコちゃん」と呼び、彼女はチャーチルを「パグ」と呼んだなど、微笑ましいエピソードも残っている。クレメンタインは政治家の妻として、夫を勇気づけ、支え続けた。しかし、ただ大人しい忠実な女性だったわけではない。彫りが深く美しい顔立ちをしていたが、背は夫より高く、狩りやテニス、水泳などを好む活発な性格で、大きな声で笑うなどの男性的な側面も持ち合わせていた。チャーチルの方が彼女よりもよく泣いていたとも言われ、彼が心を許せる数少ない理解者であると同時に、頼りがいのある伴侶でもあったのだろう。意志が強く芯のある女性であったクレメンタインは、夫を攻撃した政治家は必然的に敵とみなし、夫や夫の友人の悪口を目の前で言われるのを嫌った。彼女がブレナム宮殿に滞在していたある日、マールバラ公がチャーチルと深い関わりのあった元英首相ハーバート・ヘンリー・アスキスの悪口を言ったのを耳にし、即座にその場を後にしたこともあった。また、必要だと思った時にはチャーチルと言い争いに発展することもあったと伝えられる。チャーチルは自尊心が強く、時に自己中心的な振る舞いをしたため、その態度をたしなめることもあった。クレメンタインからチャーチルにあてたよく知られた手紙がある。その中では、「あなたが皮肉で高圧的な態度をとることで、同僚や支持者から反感を買わないか案じています。(中略)あなたの礼儀作法は悪くなり、以前より優しくなくなったことに、私は気がついてしまいました」と思慮深い注意を寄せている。それでも、チャーチルの基本的な性格は変わることがなく、また上流階級の習慣としてしばしば妻を同伴せず休暇を過ごすこともあったため、クレメンタインは夫の浮気を疑い、「離婚を考えたことさえ数回あった」という。とは言え、嫉妬も注意も相手のことを真摯に思うからこそ。聡明で愛情深いクレメンタインがいなかったら、チャーチルの成功はなかったとも言われている。チャートウェル・ハウスは、そんな2人の思い出がたくさん詰まった場所でもある。チャートウェル・ハウスで撮影されたチャーチル夫妻と孫たち。© 2004 Topham Picturepoin様々な色のバラが咲き誇るチャートウェル・ハウスのバラ園。上品な香りが漂い、身を置くだけで優雅な気分に浸ることができる。

見どころ満載のガーデン

チャートウェル・ハウスで特筆すべきは、なんといってもそのガーデンの広さだ。チケット売り場にあるエントランスを入ってすぐに、広大な敷地が目に飛び込んでくる。緩やかな丘状の形をしており、高い地点からはケントの緑豊かな風景が一望できる。また大きな湖も素晴らしい眺めを演出するのに一役買っている。芝生の上ではピクニックをしている人たちも多く、まるで敷地自体がひとつの自然公園のようだ。緩やかな小道を下って行くと、金魚や鯉が泳ぐ「ウォーター・ガーデン(❸)」が現れる。当時使われていた椅子と小テーブルは今もそこにあり、庭でひと息つくチャーチルの姿を浮かび上がらせる。彼はこの場所に長い時間座って池を眺め、時折魚たちに餌をやり、物思いに耽ったという。一方、邸宅に続く道には、「クレメンタインのバラ園(❹)」がある。バラ好きのクレメンタインにチャーチルがブレナム宮殿のバラ園でプロポーズしたように、バラは2人にとって大切な愛の象徴だった。伝統的な英国スタイルのこの園は、筆者が訪れた7月上旬は赤や白、ピンク、オレンジなど様々な色のバラが咲き誇っていた。クレメンタインはバラを愛おしそうに眺めながら、園の中での散策を楽しんだのだろう。チャーチルはその様子をやはり愛しく感じつつ、優しい眼差しで見ていたに違いない。邸宅を過ぎてさらに進むと、左手にチャーチルのアトリエ(❽)が見えてくる。チャーチルは絵を描くことを趣味としており、このアトリエは後から追加で建てられた。節制心のあるクレメンタインはアトリエの建設を「高くつくから」と止めさせたかったようだが、チャーチルの絵への情熱には勝てなかったようだ。内部は、絵を制作中のチャーチルが直前までそこにいたかのような、臨場感あふれるセッティングが再現されている。チャーチルの政治思想には批判的であったピカソですら、その絵に関しては「チャーチルは画家になっても食っていけただろう」と褒め言葉を残している。好きなだけでなく腕前はかなりのものであったといえるだろう。その先の突き当りは、チャーチル家の台所に多くの食材を提供してきた「キッチン・ガーデン(❺)」である。現在でも様々な種類の野菜や果物が栽培され、昨年は170キロ分もの収穫があったという。この時はちょうどベリー類のとれる時期だったらしく、スタッフの方々数人がラズベリーを収穫していた。キッチン・ガーデンを囲うレンガ壁の一部は、1925〜32年の間にチャーチル本人が積んだもので、「にわかレンガ職人」としての仕事を楽しんでいたようだ。ガーデンの主な見どころは、敷地内の西側に集まっているが、天気のよい日にはさらに東側に足を伸ばして、林道を数時間散策するのも楽しいだろう。

庭園マップ

❶ ビジターセンター

邸宅、庭園への入場はここから(帰りのタクシーも頼めば手配してもらえる)。チケット売り場のほか、ショップとカフェを併設。カフェでは、キッチン・ガーデン(⑤)で育った野菜、果物を使った料理が提供される。

❷ スイミング・プール

チャーチルはこのプールをとても気に入っており、人が訪れると、泳ぐことを勧めたという。

❸ ウォーター・ガーデン

金魚や鯉が泳ぐ池を備えた一角。チャーチルはここに座ってよく庭を眺めていたという=写真。

❹ クレメンタインのバラ園

美しいバラが咲き誇るバラ園は、クレメンタインのために作られた。

❺ キッチン・ガーデン

現在でもバラエティ豊かな収穫がある。取材した時期は苺、ブルーベリー、ラズベリー、レッドカラントなどがちょうど実をつけた頃だった。

❻ 邸宅エントランス

入り口には、邸宅の案内書が用意されている。日本語の案内もあるので要チェック!

❼ ペットの墓

チャーチルがかわいがった動物たちを埋葬した墓。初代ジョック(下記コラム参照)もここに眠る。

❽ アトリエ(スタジオ)

邸宅の離れに見えるこじんまりとした小屋は、絵画制作のために建てられたアトリエ。チャーチルは政治家として不遇だった時期に、精神安定のために絵を描き始め、賞を受賞するほどの腕を発揮した。なお、開館時間は邸宅、庭園とは異なるので、来館前にあらかじめご確認を。

❾ チャーチルとクレメンタインの像

邸宅の正面にある大きな池の右側へ抜けると、クレメンタインがチャーチルの隣でほほえむ姿を模した像がある。

邸宅内に見るチャーチルの私生活

本棚には時折動物のぬいぐるみが挟まっている。本を抜いた際にどこに戻せばいいかわからなくならないようにという、チャーチルなりの工夫だったそう。「本を全部読むことができぬなら、どこでもいいから目にとまったところだけでも読め。また本は本棚に戻し、どこに入れたか覚えておけ。本の内容を知らずとも、その場所だけは覚えておくよう心掛けろ」という言葉を残している通り、本の位置には人一倍厳しかったのかもしれない。それにしても、ぬいぐるみを挟むとは、なんとも可愛い一面があったもの。3階建ての邸宅の中は、当時のチャーチル一家の生活ぶりをそのまま残すとともに、チャーチルの生涯を振り返る展示室になっている。玄関を入り、クレメンタインが居間として使用した部屋、玄関ホールを通ると、応接間へ出る。途中のテラスは、チャートウェル・ハウスの敷地内、外側のケントの景色までも望める絶好のビュースポットだ。応接間では、フランスのド・ゴール将軍からクレメンタインに贈られた水晶の鶏の彫刻、フランスの巨匠クロード・モネの作品「チャリング・クロス橋」(1902年)など、フランスとの関係を思わせる物が目を引く。応接間を抜けたところには図書室がある。チャーチルは自身もノーベル文学賞を受賞した作家であったが、蔵書家としても知られていた。実際、邸内にも壁の至るところに本棚が設けられ、隙間なく本が並ぶ。中でも、図書室はチャーチルの貴重な蔵書がつまった空間で、重厚な空気が流れている。自身の著書専用の本棚もある。また、ノルマンディー上陸作戦の作戦会議で実際に使用した、フランス・アロマンシュ港の模型も展示されている。© National Trust Images/Andreas von Einsiedel図書室…蔵書の中には日本語の本もあり、大型本『シェークスピヤ全集』(坪内逍遥・訳)が並んでいた。絵画を趣味としたチャーチルが描いた邸宅内の池『The Goldfish Pool at Chartwell』。同油絵は、昨年オークションにかけられ、176万ポンドで落札されたことでも話題になった。© Sotheby's2階へ続く階段では様々な種類、様式の絵画がかけられているのが目に入る。絵画好きのチャーチルの館だけあって、どの部屋、廊下にも自分の作品を含め数多くの絵画が飾られており、彼の趣味がうかがえる。それぞれの部屋でガイド役を務めるスタッフに聞くと、どれがチャーチルの作品かを教えてくれる。2階のハイライトはクレメンタインの寝室とチャーチルの書斎だ。クレメンタインの部屋は薄青色を基調とし、天蓋付きのベッドを備える静謐さ漂う部屋だ。数々の立派な調度品で飾られているものの、全体の趣味は決して派手ではなく、落ち着いた大人の女性を感じさせる内装となっている。机上にある少女の写真は、幼くして亡くなった三女マリゴールドのもの。マリゴールドの死で深い心痛を抱えたこともあり、夫妻は穏やかな環境の郊外へ移ることを望んだとも言われている。書斎へと続く部屋には、チャーチルとクレメンタインへ贈られた勲章や品々が展示されている。書斎…この机でチャーチルの数々のスピーチや著作が生み出された。飾られている写真は自分や家族のもの。© National Trust Images/Andreas von Einsiedelクレメンタインの寝室…中央に配された机には、夭逝した三女マリゴールドの写真が飾られている。書斎は、邸宅の心臓と言ってもよい。チャーチルはここで多くの時間を過ごした。財務大臣として政府予算を管理する仕事のほか、演説もここで練習し、数々の著作もここで生み出した。まず見るべきは、建材がむき出しになった天井で、16世紀のテューダー朝時代に作られたものだと調査で判明した。天井からは、1944年にローマに掲げられた英国国旗がかけられている。これは第二次世界大戦で解放されたヨーロッパの首都に初めて掲げられた国旗で、アレクサンダー陸軍元帥から贈られたものだ。机は2つあり、手前の机にはバジェットデー(国家予算が正式に発表される日)で大臣が国家予算を読み上げるための書類が入った革のバッグが置かれており、スタンリー・ボールドウィン政権(1924〜29年)下の蔵相時代を彷彿とさせる。奥の机は物書きに使った机で、クレメンタインと子供たちの肖像写真が所狭しと並べられている。チャーチルは厳格で近づきがたい父親であったと語られるが、子供たちのことはかけがえのないものとして常に気にかけていたに違いない。書斎右側の、大量の本が並べられた書見台は、75歳の誕生日に子供たちから贈られたものだという。子供たちも父親が喜ぶものをよく知っていたのだ。実は、書斎の奥の扉の向こうにはチャーチルの浴室と寝室(非公開)がある。寝室はとても小さく、まるで仕掛け部屋のようだが、書斎から数歩のところに寝室を設けるところが、仕事熱心なチャーチルらしい。ダイニング・ルームに置かれた螺鈿の箱は、日本の元首相・吉田茂がチャーチルの90歳の誕生日に送ったシガー・ボックス。2階から地下1階まで下ると、立派なダイニング・ルームが現れる。壁面はガラス張りで、ここから眺める庭園は絶景だ。この部屋は設計だけでなく、テーブルと椅子も建築士フィリップ・ティルデンのデザインである。ここに展示されているバラの画集は、チャーチル夫妻の金婚式を祝って贈られたもので、当時の有名画家たちが描いたバラの絵が収められている。子供たちも夫妻にバラを贈り、その子孫は今でもガーデンの「金婚のバラの小径」で見ることができる。ルートはダイニングからキッチンへと続き、最後の部屋はチャーチルの晩年の資料を集めた展示室となっている。© National Trust Images/Nick Guttridgeダイニング・ルーム…アーチ状の窓からガーデンの美しい景色を望みながら食事を楽しむことができる作りになっている。この邸宅は、貴族の館のように絢爛な作りではなく、小さめで実用的、そしてチャーチルとクレメンタインの趣味に彩られたプライベートな空間だ。政治と戦争、英国の運命と共に生きた豪腕政治家チャーチルは、この静かな家で、家族を愛する1人の男性に戻る時間を過ごしたのだろう。かつてチャーチルが望んだように、都会を離れてゆったりした時間を過ごしたくなったら、このチャートウェル・ハウスにぜひ足を伸ばしてみてほしい。素晴らしいガーデンを存分に楽しむために、ピクニックの準備も忘れずに。

動物好きとして知られた政治家

愛猫ジョックは現在6代目!

ウィンストン・チャーチルは動物好きな政治家としても有名だった。犬や猫の他、牛、馬、豚、鶏など多くの動物がチャートウェル・ハウスには飼われていた。特にマーマレード柄の猫「ジョック(Jock)」はチャーチルのお気に入りで、チャートウェル・ハウスには猫を絶やしてはならないという言葉まで残したほどだ。跡を継ぐ猫もジョックと同じように、マーマレード色で胸元と足元が白くなくてはならないという。その言葉通り、チャートウェル・ハウスには今でも6代目のジョックがいる。初代ジョックと同じ柄で、動物保護施設から引き取られた。運が良ければ、敷地内を歩きまわっている姿が見られるかもしれない。初代ジョックや他の動物達を埋葬した墓(❼)も敷地内にあり、チャーチルがいかに熱烈な動物愛好家であったかを物語っている。他にも、広大な庭には、様々な鳥類、小動物が住んでいる。チャーチルが同じく好きだったブラックスワン(黒鳥)も湖のどこかで見られるという。

Travel Information

※2015年8月17日現在

Chartwell House チャートウェル・ハウス

Mapleton Road, Westerham, Kent, TN16 1PSTel: 01732-868381www.nationaltrust.org.uk/chartwell

オープン時間

庭園:午前10時〜午後5時邸宅:午前11時〜午後5時アトリエ:昼12時30分〜午後4時30分※冬季は日時が不規則になるので、あらかじめウェブサイトにてご確認を。

入場料

全体見学大人13ポンド〜子供6.50ポンド〜庭園、アトリエのみ大人 6.50ポンド~子供 3.25ポンド~

アクセス

車の場合:ロンドン中心部からM25、A25、B2026を経て1時間10分ほど。ナショナル・トラストのメンバー以外は駐車料金3ポンドが必要。公共交通の場合:ロンドンのチャリング・クロス駅、ウォータールー駅、ロンドン・ブリッジ駅からセブンオークス駅まで鉄道で30分弱。ここからタクシーで10~15分(片道20ポンド程度)。夏季の日曜と祝日はブロムリー・ノース駅から246番のバスが開通。他の征くシリーズを読む この記事をPDFで読む

週刊ジャーニー No.895(2015年8月20日)掲載

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