倒産寸前の水道屋がタピオカ屋とアパレルを始めたら「世界一やりたいことができる会社」になった 第2回

沿って : Ilikephone / On : 24/11/2022

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春水堂が苦労の末に日本展開が軌道に乗り、店舗がどんどん増えていったころ、関谷有三さんはアパレル事業へ参入します。当時関谷さんは創業10周年の記念事業のために、社員にヒアリングしていました。その雑談で「若い人を採用するために、作業着をかっこよくしませんか?」と提案され、心を動かされます。たしかに水道事業では若い人材の採用に苦戦していたのです。そこから関谷さんの「スーツに見える作業着」の開発が始まりました。

<ポイント>

・新卒採用の説明会が日本一面白いと言われる理由

・スペシャリストもジェネラリストも、どちらもうまくいかない

・やりたいことは探すから見つからない

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■スーツに見える作業着の開発

倉重:水道屋、台湾カフェのあと、なぜまたアパレルに行ったのでしょうか?

関谷:水道事業も飲食事業も全国展開を達成できたので、「これで衣食住全部そろったら3本柱になる」と思っていました。あと洋服も好きだったので、「いつか自分のブランドを作りたい」という想いがあったのです。それと「社内の作業着をかっこよくしよう」というプロジェクトがちょうど始まりました。

倉重:水道事業のユニホームですね。

関谷:やはり若い人材の採用が水道事業では難しかったのです。「着るものがかっこよくなれば、少しは若い人に振り向いてもらえるのではないか」という考えもありました。そこでスーツと作業着の垣根を壊した、「スーツに見える作業着」というコンセプトを考えて、アパレル事業に打って出たのです。

倉重:これも簡単にできるわけではないですよね。

関谷:素材開発だけでも2年かかっています(笑)。

倉重:アパレルも素人で、またゼロからスタートするのがすごいと思います。最初は大変ではありませんでしたか?

関谷:またもや、とてつもなく大変でした。まず工場や協力メーカーを探してサンプルを作りました。しかし着心地や耐久性で納得がいきません。メーカーから最新の生地を何十種類も取り寄せましたが、満足できるものがなかったの。理想の服を作るためには「素材から開発する」しか選択肢がなかった。その頃になると社員は呆れつつも、「面白そうだね」という雰囲気になっていました。

倉重:そのようなマインドになってきたのはいい風潮ですね。利益を出すようになるまで何年くらいかかりましたか?

関谷:素材開発に約2年、利益が出るまでに約3年、合計で5年くらいかかっています。

倉重:結構かかっていますが、銀行さんは大丈夫でしたか。

関谷:もちろん大反対です。「アパレルがどれだけ斜陽産業か知っていますか?ユニクロを目指すとでも?」と言われましたね。

倉重:でも銀行の予想を外して、異例の大ヒットとなりました。水道事業は実家の延長上でしたが、そこから畑違いの飲食とアパレルを始められました。この行動力や根底にあるマインドを多くの人にシェアしたほうがいいと思ったのですが、一番大事にしている考え方は何ですか?

関谷:子供のときからルパン三世にずっと憧れていました。「お宝を探して大冒険」ということに男は一度は憧れますよね。どこか抜けているけれども、やるときはやるという大人がかっこいいな思っていました。ずっといろいろなことにチャレンジをし続ける人生が楽しいと思っています。生きるために同じことを毎年やるのが死ぬほど嫌です。

倉重:自分の中で先が見えてしまったりすると、面白くないですね。

関谷:新しければ新しいほど難しい分面白いし、1人ではできないですが、仲間もたくさんいますから。

倉重:本の中にもたくさん出てきたのですが、「何のために働くのか」という話を聞きたいと思います。

 私も労働法の分野にいるため、「何のために働くのか」ということをよく言うわけです。5億円の宝くじが当たったら働かないのですかと。「世界一周旅行をして、毎日パーティーをしていたらすぐに飽きる」と本に書いてありましたがその通りだと思います。

関谷:仕事自体が楽しければ、人生はかなり楽しいと思います。人生で一番長く時間を費やすのが仕事で、一番長く一緒にいるのが社員です。一緒に働く社員が仲間で、友達で、関わっているプロジェクトがワクワクすることだったら、人生は絶対楽しいわけです。なぜそこを皆追及しないのかが僕には疑問です。「月曜日になると会社に行きたくない」という人がいますよね。

倉重:サザエさん症候群ですね。少し前も品川駅で「今日の仕事は、楽しみですか」という広告が炎上しました。それはいかに「仕事が楽しくない」と思っている人が多いのかという裏返しですよね。

関谷:あとは「週末のためだけに働いている」ということもあります。別にそれは悪いとは言いませんが、月曜日から金曜日が楽しかったら、それ以外のことはそんなに頑張らなくてもいいですよね。

倉重:両方楽しんでいいということですよね。そのようなマインドの人が増えるといいなと思います。

■新卒採用の説明会が日本一面白い

倉重:関谷さんの会社は、「新卒採用の説明会が日本一面白い」と言われます。今関谷さん が言われたようなメッセージは、若い人にどのように伝えていくのですか?

関谷:僕の体験をそのまま話しているだけです。「なぜ世界一やりたいことができる会社なのか」ということを、とうとうと問います。今の若い子たちに何かやりたいことはあるかと聞くと、95パーセントくらいありません。もしあったら、説明会など来ていませんよね。

倉重:もう自分たちで何かやっているはずですね。

関谷:ただ、皆「何かやりたいことが見つかったときや、実力がついて一歩踏み出すときにはチャレンジしたい」と思っているわけです。まさに俺がそうだったよと話します。この会社は「世界一やりたいことができる」というプラットフォームです。何か夢が見つかったときに、一歩踏み出すために作った会社だと説明しています。

倉重:成長やチャレンジを応援するよと。

関谷:私もやったことのない海外カフェブランドやアパレル事業を作りました。自分自身がそうでしたから、「世界で一番チャレンジができる会社なのだ」というプレゼンテーションをするとやはり刺さります。

倉重:やりたいことがまだ見つからなくて悩んでいる人たちにですね。やりたいことは、おっしゃるとおり、ない人のほうが大半です。特に今の時代の学生さんは、親世代があまり楽しそうに仕事をしている背中を見せていません。なおさら「真面目に働いて、マイナス評価されないようにするしかない」と思いがちです。やりたいことなど見つからなくて当たり前だと思うのです。

 関谷さん自身も、やりたいことが昔からあったわけではありません。ある意味たまたまの連続でした。結果的に今やりたいことができています。自分なりの秘訣と言いますか、どんな考え方が効いていると思いますか?

関谷:「仕事を楽しむ」ということが主軸にあります。私は某アパレルメーカーの社長を見ても、心が踊っているようには見えません。それは勝てる見込みのあることしかしないからです。ビジネスの戦略上は間違っていないと思いますが、そこにとらわれて、本当にやりたいことに挑戦できないのは人生として寂しいと感じます。もし野菜をつくりたくなったら、つくればいいじゃないですか。

倉重:私もときどき野菜や牛を育てたくなります。

関谷:多分そのような人は家庭菜園を趣味でやるのです。それを仕事で本気でやってしまえ、勝つまでやってしまえばいいというのが僕の考え方です。

倉重:やりたいことはどのように探したらいいと思いますか?

関谷:探すから見つからないと思っています。私は湧いてくるものだと思うのです。皆青い鳥のように「自分は何がやりたいのだろう」「どのような人間になりたいのか」と考えすぎです。

倉重:つい自分を探しにインドに行ってしまいますね。

関谷:ただ一つ重要なのは、ワクワクしている人の側で働くことです。ワクワクする人と一緒に仕事をして一生懸命努力をしていたら、日々感化されてある瞬間にやりたいことが湧いてきて、それにチャレンジできると思います。

■40代はやりたいことにフルスイングする時期

倉重:ご著書に、「20代の頃はまず縁のある仕事をちゃんとやれ」と書いてありました。20代はまず目の前のことをして、30代は結果を出して自信をつけて、40代が一番のゴールデンタイムだと。

関谷:40代は儲かるかとか、うまくいくことではなくて、とにかくやりたいことにフルスイングする時期です。

倉重:40代は体力と気力、経験とキャリアのバランスがいいですよね。そして、まだ新しいことを始められます。今の会社の社員さんで、何か新しい事業を始めた方はいらっしゃるのですか?

関谷:今コロナで地方のお菓子が売れなくなっていますよね。僕も地方出身なので、やはり地方創生にすごく興味があります。地域や地方を元気にしたいと皆さん思っていますよね。たまたまうなぎパイの会社さんとご縁がありまして。うなぎパイの会社さんに弊社の服をユニホームで採用してもらっているのです。

倉重:工場で使っているのですか。

関谷:ワンピースは店舗の販売員さんのユニホームとして採用されました。営業マンの方にもユニホームとしても着用してもらったり、工場でも検討してもらったりしています。

 そのうなぎパイの会社さんから「売上げが落ちている」という話を聞いて、「お菓子を通じて地域や地方を元気にしていけたら面白いのではないか」と思いました。今お菓子好きな新卒2人が今一生懸命Instagramで毎日発信しています。

倉重:社内で「やりたい」という人がいれば、新しいプロジェクトでもどんどん任せるということですね。地方創生の事業も、今後4本目の柱になっている可能性もあります。

関谷:なっているかもしれません。

倉重:時代に合わせて変化していくことが、生き残りの秘訣でもあるのかと思います。

 このような不確実な時代に、会社で働く人にはどのようなスキルや心構えが求められると思いますか?

倒産寸前の水道屋がタピオカ屋とアパレルを始めたら「世界一やりたいことができる会社」になった 第2回

関谷:とにかくマルチタスクが求められるので、本当にいろいろなことをやるべきです。

倉重:「自分の仕事ではない」とか、「やったことがない」というのではなく、まずは興味を持ってやってみろと。

関谷:多分スペシャリストもジェネラリストも、どちらもうまくいかないと思っています。スペシャリストというのは、ある日突然テクノロジーに取って代わられる可能性があります。

倉重:機械やAIで代替できるかもしれません。

関谷:「あなたのスキルは明日から要らない」と言われる可能性もありますし、ジェネラリストのように「広く浅く」が通じるほどビジネスは甘い世界ではありません。

倉重:「なんでもできます」は、何もできないと同じだと言われますね。

関谷:とにかくどれだけスペシャリストの能力を自分の中で何本も立てられるかと思っています。社内では「ジャングルジム」と呼んでいるのですが、上にも横にも斜めにも、その時代に合わせて自由自在に渡り合えるスキルが必要です。

倉重:ジャングルジム型スキルというのは、「できる」と、「すごくできる」を組み合わせるということですね。仕組みづくりを通じて教育し、伴走して大胆に任せる。そしてまた新たなことを掛け合わせると。

関谷:弊社はいろいろなことをしているので、幅広いスキルが付きます。

倉重:飲食でもそうですし、今まで全くやってこなかったようなこともしています。

関谷:僕は店舗開発もできるし、メニュー開発もできるし、洋服も作れます(笑)。マーケティングやPRもノウハウが溜まり、他に負けない自信があります。

倉重:今では「令和のヒットメーカー」と呼ばれています。社長自身もスキルがどんどん増えていったということですね。私も大事だと思いましたけれども、関谷さんが実践されている「鬼即レス」は特に読者の方にも意識してほしいですね。

関谷:忙しい人、できる人ほど返信が早いです。

倉重:いろいろな人とお付き合いしていて、本当にそう思います。

関谷:「とにかくレスは早くしろ」ということと、「レスが遅い人とは付き合うな」という話はずっとしています。人生において一番大事なのは時間なので、人の時間を奪う人はセンスがないと思っています。

倉重:いきなり電話をかけることもそうです。本の中で、若い人に対して「このように上司に対して接したらいいのではないか」ということも書いてありました。「ちゃんと食事に誘って元気な振る舞いをして、質問をして、聞き役をして、リアクションをしろ」というのは、非常に昭和的です。

関谷:弊社が目指しているのは昭和と令和のハイブリッドです。昭和だけでも今の時代駄目だし、令和だけでもやはり駄目だと思います。新人類だけで生きているわけではないですから。

倉重:確かにそうですね。礼節は欠いてはいけないし、自分ばかり話してもいけません。やはり聞いてもらえたらおじさんはうれしいですから。「忘年会に行きたくなかったからコロナでちょうどいい」なんて言っている人もいる中で、もし若い人から「飲みに行きましょう」と言われたら、こちらも心を開きますよね。

関谷:その昭和のスキルがないと、逆に危ういです。昭和だけでは駄目ですが、世の中の9割はSNSだけで仕事をしているわけではありません。ですから、両方を知り、行ったり来たりするべきです。

倉重:アナログでもテクノロジーでも、どちらも強いというのは最強ですね。

関谷:パソコンが触れないおじさんも駄目だと思いますが、飲み会を盛り上げられない若者も駄目です。どちらも今後生きていけないと思います。

倉重:そのような振る舞いを明日からしようと思っても、なかなか一気には変えられないですよね。「無意識になるまでとことんやれ、そうしたら変えられる」というお話もありました。なかなかおじさんと飲み会を楽しくやるのも難しいと思うのですが。

関谷:弊社は若い社員も多く、オフィスも青山の真ん中にありますが、徹底しているのが、「笑顔、あいさつ、感謝、元気」です。昭和のスポコンキーワードばかり。

倉重:工場などに貼ってありそうです。あとラーメン二郎にも貼ってあります(笑)。

関谷:そのような人としての泥臭い土台があった上で「いまどき」があるといいと思っています。

倉重:やはり不機嫌な顔をしていたら、人は近づかないですし、あいさつは本当に大事です。苦手な人でも、あいさつを心がけていると、多少なりとも向こうも返してくれて、だんだん距離が縮まったりすることも本当にありますから。感謝もそうですね。「あいつが悪い」と誰かのせいにする人はたくさんいます。「やってもらって当たり前」というふうに思ってしまうと、感謝を忘れてしまうのかもしれません。

関谷:それらをきちんとロジックで因数分解して、なぜ必要なのかということを会社の研修で伝えます。飲食を立ち上げた当時は、アルバイトの研修も全部僕がしていました。

倉重:本当ですか。社長自らアルバイトの研修とはすごいです。

関谷:人生において、「笑顔、あいさつ、元気、感謝」が高いレベルで継続できたら、社会に出たときにどれだけ得をするかという説明をしました。サービス業で、たった1,200円の時給のためだけに働くなんて時間の無駄です。このスキルを得ることのほうが、はるかに給料より大事だと伝えます。

倉重:非金銭報酬があるとフリーターや学生に意識させるのはすごいです。

関谷:ロジックで説明をすると誰にでも伝わります。昭和のおじさんは、ロジックで説明しないから嫌われるのです。「元気ないじゃねえかよ」「取りあえず明るい声を出せば運が良くなるから」というように言っても、「いや、ならないし」と思われます。

倉重:あいさつはどういうふうにロジックで言うのですか?

関谷:あいさつはコミュニケーションの第一歩です。自分が心を開けば、当然相手も心を開きます。コミュニケーションが良ければ仕事もうまくいく確率があがる。僕は若いときによく引っ越しをしていました。家賃の高さと、廊下ですれ違うときのあいさつ率は明確に比例します。家賃が高ければ高いほど、廊下であいさつをしてくれる人が多いのです。

倉重:それは余裕があるからですか?

関谷:お金持ちだから心に余裕があるのか、あいさつをするからコミュニケーションがよくなって仕事がうまくいくのか、どちらか分からないですが、明確に比例します。ボロボロのアパートなど、誰もあいさつしませんでした。

倉重:他の人に構っている余裕はないと。

関谷:多分そんなに人の性格は変わらないので、オープンマインドの人が運もお金も呼び込むのだと思います。

倉重:そのように言われたら、「あいさつくらいやってみよう」と思います。感謝は何と説明していますか?

関谷:若いときはお金がないですが、感謝はお金がなくてもできます。「ありがとう」と言われたほうは気持ちいいですよね。何かしてもらったことに対して、心を込めてあいさつをすると、そこでオフトレードになります。ギブ・アンド・テイクというのはイーブンでないと続きません。もらったものと同じだけ気持ちよく「ありがとう」と言うことができたら、またもらえるよと言いました。

倉重:全くそのとおりです。いつか恩も返ってきますし。

関谷:そのようなことを続けないともったいないです。相手はギブばかりしてくれませんよね。

倉重:「まず与える側になれ」とおっしゃっていましたね。だから必要なのかと腑に落ちます。マニュアルに書いてあるからやるということではありませんね。

関谷:若いときは自分のためでいいと思います。偽善でもいいです。昔はよく「利他ぶれ」という話をしていました。利他主義のようなことを若い子に言っても通用しないです。今のご時世「世のため人のために、相手が喜ぶようなことをする」ということは若者には通用しません。でも、利他主義というのは本質ではいいことです。そうだったら「20代のときは、利他ぶれ。形から入れ」と言っていました。形から入って、それで何か自分にとっていいことが起きたら、自然にできるようになります。

倉重:そのように振る舞っていたら、いつの間にか本物になっているということはあります。

関谷:にんじんが嫌いな子でも、「にんじんはおいしい」と言い聞かせ食べていたら、おいしいと感じてくるかもしれません。

倉重:利他ぶるというのは、いい発想です。偽善でいいということですね。

関谷:20代は偽善でいいです(笑)。フリでもしないより100万倍いい。

倉重:そうしたら、いつかやりたいこともできて、本当に利他の精神が出てくるということですね。

関谷:利他の心で仕事していたら、周りも応援してくれます。

倉重:なるほど。「利他ぶる」というのはいい言葉です。

(つづく)

対談協力:関谷 有三(せきや ゆうぞう)

オアシスライフスタイルグループ代表取締役

1977年栃木県宇都宮市で生まれる。2001年成城大学入学3日目にしてイベントサークルを立ち上げ、大学最大級の規模へ拡大。大学卒業後、倒産寸前だった実家の水道工事店を立て直すため地元の栃木に戻り再建に成功。その後、2006年(株)オアシスソリューションを起業し、大手マンション管理会社と提携するビジネスモデルを生み出し、数年で全国規模に成長させ業界シェアNO.1を誇る企業へと躍進。

2011年東日本震災を経験し、1つの事業だけでは事業の永続は難しいと痛感し、3本柱の事業を運営することを決意。2013年タピオカミルクティー発祥の台湾のカフェブランド「春水堂」を3年の交渉の末に日本へ誘致し、代官山に海外初店舗をオープンし、その後全国へ展開し空前のタピオカミルクティーブームの火付け人となる。

2017年水道事業の作業着をリニューアルしたことを契機に第三の事業としてアパレル事業を立ち上げ、独自開発の新素材「ultimex」を使用したスーツに見える作業着「ワークウェアスーツ」を開発。現在、導入企業数は1,600社を突破。2019年にはユナイテッドアローズ名誉会長の重松氏が顧問に就任。2021年現在、ユナイテッドアローズ、ベイクルーズをはじめとしたセレクトショップや三越伊勢丹などの百貨店での取り扱い、ANAとのコラボなど注目を集め、コロナ禍のアパレル不況の中でも異例の急成長を続けている。

2021年3月8日に自身初の書籍「なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?」を発行。時代を先駆ける様々な新規事業を成功へ導き、「令和のヒットメーカー」と呼ばれる。